尻尾






たとえば犬みたいに、嬉しかったら嬉しいと、相手に簡単にわかったらいいのに。





「素直じゃないね」
「神さん、うるさいです」
神は笑った。
清田は眉間に皺を寄せたままだ。
「折角好きな人からお呼びがかかったのに?」
「神さん、うるさいです」
神は汗で濡れたTシャツを脱いだ。
清田はまだ濡れたTシャツのままだ。
「ご機嫌悪くしちゃうんじゃないの?」
「神さん、うるさいです」
神はタオルで汗を拭った。
清田はしゃがみこんだままだ。




喧嘩をした。
それはそれは、とても些細なこと。
藤真が卒業を前に、やたらめったら告白されていて、それを清田が待ち合わせ
場所で目にしてしまったから。
「仕方ないだろ。学校からずっとタイミングはかってて、気付いたら、藤沢まで
ついて来ちゃったっていうんだから」
あの子に罪はないよと言った恋人の、『好きです』と言った彼女への返事が、
清田の頭にやたら反芻されていた。
『誰とも付き合う気ないんだ。だから、君と付き合えない』
そればかりがリピートされて、
「もういいッスよ!藤真さん、俺のことなんてどーだっていいんでしょ!」
気付く前に口に出た言葉。口に出ると同時に踏み出した足。
「おい、コラ、清田!」
藤真を振り切って、ホームに入った。
泣きたい気持ちになりながら、藤真が小田急線の定期を持っていなくて良かった
と清田は思った。
けれど、そう思ったのは、その夜だけ。




「素直になればいいのに」
「神さん、うるさいです」
神は笑った。
清田は眉間に皺を寄せたままだ。
「いつもみたいに、正直になればいいのに」
「神さん、うるさいです」
神はあったかいコーヒーのボタンを押した。
清田は自販機の前で何を飲むか悩んだままだ。
「向こう見ずなのがお前のいいところなのに」
「神さん、うるさいです」
神はプルトップをカコンと引っ張った。
清田はあったかいコーンスープを手に収めたままだ。




正直に言えばいいと思った。
たぶん言葉にすれば、きっと簡単なこと。
藤真があの子に告げた言葉を、その背後にある本心を、教えてくれと言えば
良かったのだろう。
オレト、フジマサンハ、ツキアッテルンジャナイデスカ?
男同士、認められない、認めようもない、誰にも言えない、そんな関係ではある
けれども、それでもせめて、抽象的にでも言葉にしてくれたら、きっとそれだけで
嬉しかったのに。
「俺は、藤真さんの何?」
そう言うのは簡単で、だけど、言葉として口から出た瞬間に、それはとてつもない
重力を帯びそうで。
「言って欲しいんスよ」
俺が、あなたにとって何なのか。
互いに感じ合っていることでも、他人に言うことで、その存在を確かめられるのだ
と単純にも思ってしまっているから。
だけど、それはどう伝えたらいいんだろう。




「言うしかないでしょ」
「神さん、うるさいです」
神は缶コーヒーを飲み干していた。
清田はまだプルトップも引っ掛けないままだ。
「お前は言うこと言うけど、顔にも出るからね」
「神さん、うるさいです」
神は空き缶をポイと屑籠に放り投げた。
清田はまだ手の中に缶を収めたままだ。
「犬みたいに今しょげて、股に尻尾挟んでる状態だ」
「神さん、うるさいです」
神は腕を伸ばした。
清田は身体を縮こめたままだ。








俺はとても難しい性格なので、簡単に認められることでも認めたくないし。
だからって認めたくないことを認められるわけでもない。
単純であり、複雑であり、矛盾を抱える性格なので、お前と付き合っているのが
大前提だとしても、そうそう「付き合っている人がいます」とは言えないのが現状。
まして男、まして年下。
お前のことは好きですからね、でないと俺が付き合うはずもないじゃない。
だからって大っぴらにお前が好きだよとか、お前と付き合ってるのよとかできや
しないだろ。
お前と違って俺はデリケートなんだから。
でもな。
お前を傷つけたなとは思っているんだよ。
ただでさえ、お前はどこか、俺にコンプレックスを抱いているところがあるから、
フィフティにはなれないんだろうって感じているところがあるから、あの俺の断り
の言葉は、お前にとってショック以外の何物でもないだろうってわかってんだよ。
「ホント、素直になれねぇヤツ」
ギリギリの部分で素直になって、俺はお前をいつも通りに呼び出すしかできない
わけ。それ、わかって欲しいっての、やっぱり俺の我侭だよな。
だから、だから、せめてさ。
会って、お前に、好きだくらいは、言いたいと思うわけだよ。
お前みたく、感情を表に出せないし。
好きだっていうのも、なかなか表すことができない俺なんだけど。









「藤真さんが犬だったら、わかりやすいと思うんだよねぇ」
「神さん、うるさいです」

























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