上を向いて






何かに縛られとる、そう思った。
身体が思うように動かへん。
応援の声、フロアに響くボールの音、選手の声、バッシュの音……
全てが俺に覆い被さった。
流川にした行為。それでもプレーしとる流川。観客の雑音。
プレッシャー?
腕が重く、脚も重い。シュートを放ってもリングはボールを嫌う。
野次が飛ぶ。
何がわかるいうねん?何が。俺が何を思うか、俺が何を負うか。
身体にまとわりつく空気は俺が初めて相手を傷つけたときを思い
出させた。
藤真健司。
かつて俺の前に立ちはだかった、『エース』。
ケガをして、北野先生に会い、自分を縛りつけとった何かから
その身を脱しても、思い出した感覚はまとわりついたまま。
流れた血とフロアに倒れる姿がスローモーションで瞳の奥に映し
出された。俺は試合終了を告げる笛の音で、その映像から逃れる。
けれど、自分を縛りつけていたものは1つだけではなかったと
知った。
北野先生のことだけやなかった。
藤真健司、あんたのこともあったんや。



「もしもし」
湘北が翔陽に勝って神奈川県予選の決勝リーグに出たということを
1年から聞いた俺は、湘北のキャプテンである赤木から藤真の連絡先を
聞いた。赤木は何も言わず、少しくたびれた感じのノートをスポーツ
バッグから取り出すと、ペラペラと捲り、最後のページをビリと破くと
何かしら書いて俺に渡した。見たことのない市外局番に、藤真が遠くに
おることを感じる。あの夏しか会うてない。あの試合しかない。
せやけど。
「南、いいますが、健司くんは」
試合後のミーティングもそこそこに、俺は家に帰った。店と自宅との
境目にある電話のコードをギリギリまで引っ張って廊下に出る。
「南?南って豊玉の?」
当然ながら聞き覚えのない声が、俺の学校の名を告げる。
「うわ、ビックリした。南、覚えてるよ。今日、豊玉、湘北と試合
だったよな」
どうだった?とその声は続かなかった。まるで友達のように澱みなく
流れる声も、『結果』という絶対で、けれど繊細なモノは聞けない
んやろう。
「負けた」
「……そう、か」
俺がそう言うと、溜息を吐くでもなく暫くの間があって、搾り出すような
声が受話器を通して聞こえた。
「残念だったな」
それしか言えへんやろう。『結果』が全ての世界、あぁやったらとか、
こうやったらとななんて思うても口には出せんことや。
「で、どうしたんだ、急に。誰かに俺んちの電話番号聞いた?」
「あ、あぁ赤木に」
「そうか」
「お前から、解放されたくて」
自分を縛りつけていた何か。それを理解した今、俺の口からは
不思議と素直に言葉が出た。
藤真は何も言わなかった。



北野先生のこと。
湘北戦のこと。
流川のこと。
身体が動かなくなったこと。
解放された自分は、もう1つからも解放されたいと願ったこと。



誰に話すでもないことを俺は藤真にぶつけた。ぶつけた言うには
語弊があるかもしれん。独り言みたいなもんやった。藤真は聞いて
ないかもしれん。それでも良かった。自己満足と思うてくれても
構わんかった。ただ、ずっと、俺が底に抱えとったモンを、誰かに、
いや、藤真に聞いて欲しかった。
「今更、謝ってもえぇか」
俺が最後に告げた言葉はそれで。
「お前のバスケへの気持ちが、それで上を向くなら謝ればいい」
と、藤真は言った。
上を、向く?
「勝ち負けってやっぱ大事だし、それが全てとも思う」
耳に滑り込んでくる声は、乾きに乾いて得た水のようで。
「けど、そんだけじゃない」
俺だってようやっと気づいたことだけど、と電話越しの声が少し
照れ臭そうに告げる。
「義務でやることでも、何かに縛られてやることでもない」
そういえば藤真は監督を兼任していたんやった。俺が柵に囚われとった
モンより、ずっと大きなモンに藤真は囚われてた……?
「バスケが好きで、バスケがやりたい。それが大事なんだよな。南、
お前も、今日、それがわかったんだろ」
表情などわかるはずもないのに。
「お互い、まだ終わらない。上を向いて行かなくちゃいけないんだ。
今日終わっても、まだ気持ちがあるんだから」
藤真が笑っているような気がした。
「だから、お前は俺に何を感じることはないと思う。けど、必要なら」



必要だから。



俺は「ごめん」と言った。「また、かけるわ」とおとんとおかんの視線を
感じて電話を切った。電話を元あった場所に戻し、店へと入る。流川へ渡す
軟膏を探し、ポケットに入れると家を出た。
上を向くために。
藤真の声を思い出せば、身体を取り巻いていた感覚が抜けていった。
また声を聞きたいと思った。




上を向いて。
全てから解放された藤真を、俺は思い浮かべた。



















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